椎葉のヤマメが最も綺麗に色づく季節である9月、宮崎県の奥の奥にある椎葉を訪れました。私と同行者の中森くんが宿泊した現地の施設では地域の寄り合いが行われており、屋外からでもその熱気が伝わってきます。
車で荷物を整理していると、建物の中から人の声で
「ガオー!」
という声が聞こえてきました。まさか我々に対する呼びかけでは無いだろうと片付け作業を継続していると、こちらに明確にベクトルを向けた声で
「ンガ、ガオー!!」
という叫び声が再び届きました。どうやら施設の方が我々に声をかけているようです。
来客には「ガオー」で迎える文化が根付いているのでしょうか?
60代くらいと思われる彼女が宿泊客の受付を担当しているようですが、ガオー以降の言葉もほとんど意味不明で、友人は「失礼ながら言語に障害がある方だと思った」と勘違いするほど、彼女はベロベロに酔っ払っているようでした。
呂律の回らない彼女は初対面である私を古い友人か孫とでも勘違いしているのか、私の腕を終始強めに掴んだまま部屋の案内をしています。
風呂やトイレの説明を2度繰り返すと「この用紙に・・・名前を・・・ベゴベゴガ~」のようなことを言い残し、勢いよく宴会に戻って行きました。
寄り合いは想像以上の盛り上がりで、17時時点で彼女以外の4人も全員泥酔で大ハッスルのカラオケが展開されています。こちらはもらい事故に遭わないようにと外を散歩してゆったり時間を潰した後で宿に戻ると、無事に人も車も全て無くなっていました。
??
施設の中に居た泥酔の5人が5台の車と共に消えた、ということは・・・。
運転代行が無い地域とはいえまさかへべれけが全員自分で運転して帰ったということは無いと思いたいので、彼らは車を押して自宅に帰ったということにしておきましょう。山の男女の足腰の粘りに感心せざるを得ません。これぞ平家の落武者の末裔を自称する集団の持ち味です。
* * *
平和を取り戻した僻地にひっそり建つ宿泊施設で、我々は明日からの透き通った椎葉の川での釣りを夢想しながら日本酒で盛り上がります。
ほどよく酔いが回った我々は貸し切り宿の広いスペースにやわらかい頭サイズのボールが転がっているのを見つけ、どちらからともなくサッカーの真似事となり、小さなゴールを2つ作って1対1が始まりました。
しかし双方イメージ通りの動きが出来ず、というか初めてサッカーボールに触れた4歳児のようにごちゃごちゃになっています。さらに私がボールを奪おうとムキになって相手の足を蹴飛ばしてしまい、突き指になった右足の薬指がコアラのマーチのようにぷっくり膨れてきました。
・・・。
何をやっているのか・・・。足を引きずりながらトイレで一呼吸置いていると、今度は部屋から
「ドスン!」
という重い音が聞こえてきたので驚いて駆けつけると、今度は同行者が仰向けで全身をピクピク震わせています。
無事を確認した上で、なにゆえそこで寝転がっているのかを聞いてみても、
「全く覚えとらん・・・」
とのこと。恐らくボールに魔法をかけようとしたところ、自分自身に魔法がかかってしまったのでしょう。
山奥に来ると老人から中年まで、クオリティが大きく下がってしまうようです。
* * *
2日目の朝、昨日のガオーおばちゃんが何食わぬを顔して宿に登場しました。
「昨日は失敗した!ガハハ!!」
と仰っていますが、何を失敗したと認識しているのかは遂に聞けませんでした。
朝ご飯を食べながら、今日のランチの用意をします。
この集落はスーパーからも遠く、3日間手持ちの食料でしのぐ必要があります。ランチは食パンの安さをガーリックバターで相殺し、シャキシャキのレタスとハムをはさんでやり過ごす3日間になることが確定していますが、頼みのガーリックバターを前日味見した友人が
「このガーリックバター、不味いわ」
と言っていたことを思い出しました。
それでも激安食パンと丸裸で対峙するわけにはいかないのでチューブを握りしめてみると、初日にしてすでに残量が半分以下に減ってます。
なんと彼は真面目な研究員の面を被って「不味い」と言いつつ、前夜から今朝にかけてこっそりガーリックバターを独り占めしていたのです。きっと子供の頃から
「昨日夜通しドラクエで試験勉強出来んかったんよね~」
と吹聴して周囲の学力を落として嫌らしくのし上がった結果、大手企業の研究職という嫌味なポジションを嫌らしい手段で手に入れたのでしょう。
朝からガーリックバターの配分をめぐって大人気なく揉めながら、2人はようやくフィールドに飛び出します。
* * *
過去の椎葉の釣りを思い返すと、みずみずしい想い出しかありません。絶景の中で撮影したヤマメの思い出も、美しく色づいたヤマメの思い出も、全てこの耳川上流とともにあります(深い谷底で脱水になったことは忘れた)。
新明解国語辞典のように分厚いヤマメを釣り上げて世界中でバズったこともあったっけ・・・。
大幅に捏造された思い出を胸に竿を出しますが、片手どころか10センチ前後のヤマメばかりです。
この日は9月中旬にも関わらず昼間には31度まで気温が上昇し、太陽の下に居ると脳内で星がチラつく暑さです。
椎葉は「九州の北海道」と言われるそうですが、北海道にしては暑すぎるぞ。名付け親に文句を言いたくなりますが、よく考えれば今や北海道も夏にはギンギンに暑いのです。
ビールを川に入れて撮影することで
「自分は負けてない」
「片道7時間の甲斐があった・・・」
と言い聞かせます。
椎葉で釣りをするというとあっという間に時間が過ぎ去り、夕暮れには赤い空を見て涙すらこぼすような印象を持っていたのですが、この日は
「夕方かと思ったら、まだ12時か・・・」
「椎葉では太陽まで粘り腰かよ・・・」
と文句を言いつつ、退屈という真綿で首を締められ続ける僻地の郵便局員のようにぐったりしながら、日光浴を通じた微量のビタミンDの生成以上のめぼしい結果は出せず、這うように車に戻ります。
「そこまで辛いなら、さっさと釣りを切り上げて観光でもすれば良いのに」
だと?
その通りですが、突然大逆転するかもしれない、と思ってしまうじゃないの。
その結果が、この体たらくです。僕らは子供の頃から「頑張れば報われる」「継続は力なり」的ストーリーに毒されて、足元から目線を外して空高くから自由に選ぶという人間らしい豊かさを失ってしまったのかもしれません。
* * *
夜は椎葉の知人が猪肉とツマミを持って訪れてくれました。
椎葉のいくつかの集落では子どもが野球やサッカーをするのと同じような感覚で狩猟が根付いているようで、男は収入というよりも「当然の嗜みとして」猟をするのだとか。
犬を使った狩りと聞くと、犬が猪を追い込んで鉄砲で仕留めるのかと思っていましたが、実際には
「鉄砲を使うことは稀」
で、犬の群れだけで罠に猪を追い込んだり、猪を完全に殺してしまうことの方が多いとのことで、猟犬の知能と攻撃力に驚愕です。
対する猪の攻撃もすさまじいようで、オス猪の牙でスッパリとお腹を切られて内蔵丸出しで戻って来る猟犬も居るとのこと。
命懸けで猟に飛び込んでいく犬からご主人様への忠誠心は絶対で、御館様に真っ直ぐな目で従う秀吉のよう。家康のように企んではいません。
そんな賢い猟犬はうっかり人に噛みついたり食べ物を奪ったりする心配もないのでこの村では基本的に放し飼いになっており、通学路をまっすぐ進む中学生のような雰囲気の猟犬と道ですれ違うということが当然のように発生するため、村外から来た人が警察に通報することもあるのだそうです。
この日の椎葉の方との飲み会にも、当然のように彼の犬が参加してくれました。今回の飲み会メンバーの犬は猟犬になれずにペットとして飼われていますがそのようなケースは稀で、子犬の兄弟のうちで猟犬として選ばれることが無かった犬の多くは「川に流される」のだそうです。
・・・。
現代に生きる我々が「生きた動物を間引きする」と聞くと心穏やかでは居られませんが、人間社会でも口減らしは存在していますし、そもそもイザナミとイザナギは子どもを川に流しています(下流の漁民が救出)。
また人間以外の動物でも子どもの選別を行う種は当然存在しており、子殺しを行うカルガモに対してカトリック系のカルガモが命の平等を叫んでストをするようなこともありません。
我々の感覚は理性の皮を被った学級委員顔の西洋文明に毒されて来ていますが、実は私たちが想像するほど人間は理性的な生物でも何でもなく、本質的にはその他哺乳類や鳥類と大差無いのかもしれない、ということをこの地域の人達はそっと教えてくれているようです。
さらに人と犬の関係だけでなく、地域の人間同士の交流も特殊です。ここでは一例として、本日の飲み会に登場してくれた40代の椎葉の男性と、飲み会会場を通りがかった近所の9歳の子どもの会話を御覧ください。
念の為ですがこの男性は集落の中で特段高圧的な方でもなく、登場する子どもとの関係の良好です。
男「おぅお前、ゆみか?確か◯◯さんとこの4番目やな?」
子「うん」
男「今まで何しよったんか?寝とったんか?んぁ!?」
子「寝てないよ、家で遊んでた」
男「肉焼けたぞ、食え。おら、食えぇ!!」
子「(箸が無いので素手で焼き立ての肉をつかんで)あちちち・・・」
男「ゆみお前、えらい髪ツヤツヤやな?美容院でも行きようとか??あぁ??トリートメントしようとか?!?!?!」
恐らくこの会話が全国のお茶の間で放送されて田園調布中の奥様が観ようものなら、口からブイヤベースをこぼして多摩川がオレンジ色に染まることでしょう。
繰り返しますが、男性は酔っ払っているわけではありませんし、この子が嫌いなわけではなく、通常のコミュニケーションが上記の作法で根付いているという理解で良さそうです。謎の文脈でパワハラを受けているように見える子どもの方も「大人は怖いけどいざという時に頼りになる」と感じているように見え、平地の我々にはわからない信頼関係で結ばれているのでは無いでしょうか。
現代のように大人がよその子どもに上目遣いでお菓子を渡して「仲良くなってもらう」時代ではなかった昭和生まれの私にとって、椎葉の大人と子どもの関係はどこか懐かしい感情を思い出させてくれました。
さて日本酒も回りだした頃、昨日私が見た光景は飲酒運転だったのか、それとも・・・という質問を椎葉の方に投げかけてみたところ、明確な回答は避けつつ
「まぁ、ここでは警察より住民の方が強いですから。」
と、ごく当たり前の口調で話したとき、言葉と法律でスキマが無くなった現代社会の逃げ場を見つけたと同時に、この地域が持つ深い霧のようなおぞましさを感じざるをえませんでした。
その後は別の釣人グループの男性とも盃を交わし、明日の釣果を祈りつつ就寝します。