奈良県南部にある漁協が無い河川に入ります。
ここは漁協が無いことで有名なポイントなのでしょうか、道路沿いを練り歩く釣り人3人に遭遇します。彼らに声を掛けてみると「水量が少なすぎて餌づりでは難しい」とのことで、少し釣っただけで別のポイントに移動するとのことでした。
釣りの準備をしながら、この日も同行していた兄から私の過去の辛かった釣りの思い出を聞かれ、私は北海道の弁護士先生の話をしました。彼はホスト側にも関わらず全てのポイントを旅行者である私より先に叩き、寝坊と忘れ物を繰り返す釣り人で過去に私の釣りに同行してくれた動物さんたちの中でも屈指の人気を誇る逸材です。(一緒に釣りさえしなければ良い友人)
「色んな人がおるもんやな~。」
と兄も驚きながら川へ入ります。まだ今回の和歌山遠征でアマゴを釣っていない兄を先行させると、ほどなくチョウチン毛針釣りでアマゴを釣りあげてくれました。
この日は焚き火をして釣れたアマゴを焼く計画でしたが、食材を確保できたという意味でも大きな収穫です。
美しい。
得も言われぬ黄色いヒレや丸っこいパーマークは美しくかつ独特です。
この魚をじっくり撮影するうちに「放流の無いエリアだし、もしかしたら希少な在来種かもしれない」などという妄想が湧いてきてしまい、結局アマゴを殺すことが出来ずにリリースしてしまいました。在来種とか遺伝情報とかいう情報は、一部の人間の商売のために喧伝さえれているくだらない付加価値モドキだと思っているのですが、このヒレの色が「それは人間の商売ネタだけではなく、正しく地球上を生きてるんだぞ」と言ってくるようでした。
アマゴに負けたような自分に勝ったような、やや誇らしい気持ちで川を進むと、先ほどからずいぶんと多くの魚の姿を見かけます。ルアーを投げれば群れで突進してくるようで、その魚の異常な数を考えればアマゴでは無いと思う方が自然でした。
というより、いつしか私はこの魚の群れがアマゴ以外の魚であることを願うようになりました。なぜならこの群れがもしアマゴであった場合、自然保護主義者であり高尚な文化人になったつもりで貴重な食料であるアマゴをリリースした自分が滑稽以外の何者でもなくなるからです。
目の前に大きな淵が現れました。
恐る恐る淵の下に水中カメラを沈めると・・・。
カメラの前に10匹ほどの魚が群れで堂々と泳いでおり、魚の正体がはっきりしました。
なんと残念なことに、それはすべてアマゴでした。これまでトラウトが居ることを願ってカメラを沈めることはありましたが、アマゴがこれほどたくさん写り込んだのにそれを喜べないのは初めてのことです。
きっと先程までルアーを追いかけてきた魚たちも、その全てでは無いとしてほとんどがアマゴだったのでしょう。私の目は血走っていました。釣るしかありません。今度こそ完全に食ってやる。
* * *
さて、最初の一匹は兄が釣り上げたので、今度は私が釣らせてもらう番です。しかし私が竿を出していると、平然と兄が私を追い越して行きます。おかしいなと思って私が追い越しても、やはりまた当たり前のように彼が上流に陣取ります。
釣りを開始する前、同行者に釣りをさせない釣り人について話したんだが?「変わった人がいるな」と君も驚いていたんだが?
あまりに目にあまる状態だったのでついに私が
「まだ釣ってない同行者に配慮しろよ!」
と指摘したところ兄は
「アホか、譲ってるやろ!」
と大自然の中で兄弟喧嘩を始めます。生まれた時からおもちゃを取り合い、母親や父親を取り合い、喧嘩に明け暮れていた子供の頃とは違います。チン毛や髭どころか、およそ生えてはいけない部分である肩とかデコからも不思議な毛を生やす年代になってしまった中年二人が釣りをしながら山奥で喧嘩をするとはどういうことでしょうか。
そして子供の頃からいつもそうであったように、気の優しい兄が折れる形で下流側でしょぼくれています。
そのすきに私は決死の形相で毛針を浮かせていき、アマゴを釣り上げることが出来ました。
4本ほど釣り上げたもののうち3匹は食べるところも見当たらないような小さなアマゴだったので、一匹だけ確保して焚き火の準備をします。
先日は魚の内蔵をナイフで取り除きましたが、この日はナイフを持たないので割り箸で内蔵を取り除く方法を試してみます。
※この後「食材」に姿を変えたアマゴが登場します。見たくない方は「戻る」ボタンで退出してベジタリアンに転向してください。
エラを巻き込むようにして割り箸を内蔵の横に2本差し込み、何度かねじるように回転させると内臓が綺麗に取れるのだそうです。
これをねじって引き抜いたところ、お手本のように綺麗には取れず指で引っ張り出すことになりましたが、とりあえず内蔵を取り除くことは出来ました。念のため血合いもしっかり洗います。
今回は燃料になる太い枝を切るためにゴムボーイという軽量のノコギリを携行して来ました。それを使うのが楽しいのか、兄はノコギリを使う必要が無いシーンでも嬉しそうにノコギリを振り回し、およそ気分は蛇矛を振り回す張飛です。
魚が枝から落ちて泥がついたりもしましたが、とりあえず焼けました。
美味しそうだと思って頬張ってみると・・・。ちょっと生臭い・・・。焼きが足りなかったか、もしくはヌメリ取りが甘かったのかもしれません。
「殺した生き物は全て綺麗に食べるべきだ」という意見が今の時代は幅を効かせていますが、生焼けの魚の頭など私の歯ではどうしようもありません。
「むしろ私が全部を食べて栄養を街に移動させるより、この場で次の捕食者に栄養として渡した方が山の栄養の循環という観点からは良いのではないか?」
などとエセ生物学者としての屁理屈を発明し、頭と骨とヒレはその場に埋葬して川を後にしました。