解禁前夜のお座敷遊び【23年春の伊豆旅①】

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関東にいる友人から「ご近所さんの別荘でお座敷遊びを今度するんよ。お願いだから来て!」という連絡が入りました。

なぜ芸姑さんとの飲み会に私が必要なのか合点が行きませんでしたが、時間だけはそこらの富豪にも劣らないほど持て余しているので、お邪魔することにしました。

 

* * *

 

その別荘にはミシュランの星が付くような銀座の高級飲食店のオーナーと、そのお店の常連さんをメインにした方々が12人と、2人の芸姑さんが来られていました。

乾杯では見たことが無い形の巨大なボトルからグラスに、シュワシュワした液体が注がれていきます。結婚式でしか見ない細いグラスは本気を出せば一口で飲み干せそうです。

「おいビールは無いのか!」という言葉を、美味しいのか美味しくないのかよくわからないシャンメリーのようなお酒で飲み込みます。

そして上空からこの集まりを冷静に見てみると、貴族の遊びにポツンとまぎれこんだ召使のような男を一名、発見するに至りました。

正に私です。浮いています。

浮くというのは比喩ではなく本当に足元が浮わついており、美しく泡を放つ液体を正確に口に流し込めているのかも不安です。

友1「おいニート!ポシェットを後生大事に抱えてるんじゃないよ。」
友2「ここはタイの歓楽街じゃないんだから。」

イジって頂いているのか、あるいは帰れと促されているのか。それに対して特段おもしろい返しも出来ず、試合終了のホイッスルを聞きたくて耳をダンボにするゴールキーパーのように、耐え凌ぎます。

お酒も回り出した頃「梅は咲いたか」というお座敷唄を芸子さんが披露してくれました。

「梅は咲いたか 桜はまだかいな」

で始まる曲で、その界隈ではよく知られたもののようです。みんな感動で大盛り上がりしていますが、私には正直何が面白いのかさっぱりわからず、でもなんだか感じ入ったようなフリだけしながら慣れない洋酒をすすります。

 

ワイン
なんだか高そうなワインと、奥に鎮座まします芸姑さん

 

テーブルにはテイクアウトとは思えないほどのお上品で美味しい中華をメインにした料理が並んでいますが、王将の餃子より美味しいかと聞かれると、よくわかりません。

「ちょっとニート、こっちにおいで。」

芸妓さんに導かれて裏に行くと、とりあえず全裸になって着替えろと。足元にある仮装用の衣装を見て、本日なぜ場違いの自分がここに呼ばれたのか、飲み込めました。

メジャーリーグの運営にピッチャーや野手だけでなくトイレの掃除をする人間が必要なように、貴族たちの遊びにも汚れ役が必要なのです。

 

仮装したニート
右が仮装したニートです

 

しかしこのような芸は、普段立場のある人間がやるからこそ面白いのです。

平時から立派な地位も権威も着ていない私が脱いでも大して変わらず、というか普段着の自分と大差がありません。

出オチ芸としてすらも成立しておらず、その後私の仮装については酒のつまみとしてすら誰ひとり触れることはありませんでした。

 

* * *

 

翌朝、友人の自宅で目を覚まし、伊豆の渓流釣りに出かける準備をします。一秒でも早く山に入って、昨日の忌まわしき記憶を川で洗い流すのだ。

友人宅のリビングでお茶をすすりながら、ふと自分が置かれている状況に気づきます。2回りほど上の女性の家に30代の綺麗な女性と3人で熱海の海を見下ろしています。

普段干からびたニシンのような生活をしている私からすると、かなり幸せなシチュエーションでは無いでしょうか。釣りに行くのはやめにしよう。

友「何時に釣りに行くの?」

私「やっぱりやめました。過去の決定に引きずられる僕では無いので」

ご都合主義の言い訳を思いつくことに関しては37年間怠らなかった人生です。

何をするでもなく、優雅な音楽とともに3人だけの時間が過ぎていきます。魚などどうでも良いのです。どこまでも晴れた熱海の海を見ながら、女性たちと猥談を交わす方が楽しいに決まっています。ねぇ、青姦ってしたことある?渓流など、陸で釣れない負け組の逃避先である。

和やかに笑いながらスマホに手を伸ばすと、Twitter上で過去にやりとりをしたと思われる方から、写真が送られていました。

 

 

えぇ!!!

どちらも私が到底釣ったことの無いような、特大の魚です。う、羨ましい。まだ寒い北海道で、こんな大きな魚が釣れるのか・・・。

一方の私はこの小さな部屋の中で何をしているのでしょうか?どう転んでもお付き合い出来ないような綺麗な女性に青姦の話を振ってバカにされ、何を釣り上げられるというのか。

有り合わせの物語で作り上げた砂上の楼閣のような幸せは呆気なく崩れ去りました。つい1時間前まで「釣りなんてどうでも良い」と言っていた男は急にスーツケースを掴んで立ち上がります。

「やっぱり釣りに行く!」

人と比べることを良しとせず、ひたすら内的な幸福の美しさを説く男は、この世で最も人生に豊かさをもたらさないと言われるTwitterというツールによってもたらされた劣等感のみに突き動かされ、部屋を出ていきます。

 

* * *

 

伊東駅でレンタカーを拝借し、東伊豆にあるヤマメ(アマゴ)が居るかどうかわからない漁協が無い河川に到着しました。めぼしいポイントに入るも、水がほとんど流れていません。

一応竿を出し、カメラを突っ込んで水中を観察しますが、魚は見当たりません。さらに別の河川ものぞいてみますが、ここでもやはり魚の姿は見当たらないようです。

今朝、良い香りが漂うお部屋で華やかな時間を過ごしていた男はそれを放棄して今、魚も居ない薄い泥のような色の川の前でたたずんでいます。

神よ、どうか時間を今朝まで巻き戻してはもらえぬか?この世で最もくだらないのはTwitterを見て感情を動かされることだと、今朝の私に言ってあげたいのです。

結局、過去の決定に引きずられないと豪語していた人間は、些細な劣等感をきっかけにした過去の決定の道連れになってしまいました。

そもそも何故、お座敷遊びパーティーなどに来てしまったのでしょうか。その場で知り合ったお金持ちがうっかり儲け話を持ってきてくれるとでも思ったのでしょうか。自分も金持ちのフリをして不足しがちな自尊心を埋め合わせたかったのかもしれません。

昨年も解禁初日に伊豆で稚魚を見かけて終わってしまいましたが、渓流釣りの解禁初日に良い思いをしたことがありません。

 

梅は咲いたか。桜はまだかいな。

 

翌日の伊豆での釣りに続きます。

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