偶然釣れたイワナ一匹に終わった翌朝、川の様子が気になって朝5時の朝食の前に外に飛び出してみます。
・・・。
警戒心の薄いイワナが水面から飛び出すどころか、自分が流されて富山湾に飛び出すことになるのでは。
釣りは出来そうにないので朝ごはんをゆっくり食べて時間をつぶします。山小屋では偶発的に衛生から受診しているテレビを付けてくれますが、それによると昼前には雨が弱まるのだそうです。
時間を持て余してウロウロしていると、休憩室でフライマンに話かけられました。彼は昨日、我々が到着する前にドライフライでたくさん釣ったのだそう。雨で小屋に引きこもらざるを得ない私にそんな話をぶち込むとは、嫌味でしょうか?
朝9時頃に雨が少し弱まると、目を血走らせて外に出て行く男性の姿が見えました。昨日露骨な不機嫌をPRしながら釣果報告した彼です。どこで釣りをする予定なのかと聞くと、
「本流の下流側です」
とこちらをにらみつけるように言い放って出ていきました。「絶対にこっちに釣りをしに来るな」というアツい気持ちが伝わってきます。
「あんな風にムキになりたくないよね」
夕食が17時なので16時まで釣りするとすれば、時間はあるのでゆっくり休んでから釣りに行こうと同行者と話しますが、どちらともなくソワソワと支度を始め、結局慌てて出ていった釣り人を見送った30分後には出かけることになってしまいました。
薬師沢小屋から上流側の黒部川本流に入ります。
幸運にも我々が川に降りるころには雨も上がっており、山小屋前のデッキには数人のオーディエンスが日向ぼっこをしながらこちらの姿をうかがっています。
彼らの目線を後頭部で意識しながら宿の前で竿を出すと、大きめのイワナが毛針に食いつきました。
薬師沢小屋に釣りを目的に来ている人は全体の2割以下のようなので、彼らの中にはイワナを見たことが無い人も多いでしょう。ギャラリーに見せたいという軽薄なヒーロー願望が腕に力を込めさせすぎたのか、必要以上に竿を強く動かしてしまい、あわせた勢いで糸がぷつっと切れてしまいました。
この醜態を誰にも見られていないか、こっそりエロ本を買いに来た少年のようにクルクルと首を回して周囲を確認し、ホッとして先に進みます。
やはり最初の一匹は同行者に持っていかれましたが、無事に自分も釣ることが出来ました。
北海道でオショロコマを釣っているような気分で、同じ場所で何度も反応があり、釣りたい方法で釣ることが出来そうです。では、毛針を水面に落とさず、空中でも釣れるのでは無いでしょうか?
【黒部に行きたい人向け】薬師沢の釣りに必要な道具や事前準備(有料記事)
空中で動いている毛針を水中から飛び出して口に入れるのはイワナにも難しいようで、飛びついてきたとしても毛針がしっかり口に入らないことが多く、そもそも釣りとして不備があるようです。
しかしそんな機能不全の釣りが私の釣りライフを機能させており、釣果と反比例するかのように大変な充実感をもたらしてくれました。
そんな時にふと友人のリュックを見ると、蛾が大量に集合しています。
燃料が貴重な薬師沢山小屋には風呂が無いため、一晩風呂に入らず過ごした我々から放出される匂いが影響しているのでしょうか。
彼がチョウチョだと言い張る不気味な虫はなぜか私より中森くんのカバンに圧倒的に集まっており、客観的に彼の方が臭いのではないでしょうか?
山小屋で山岳ガイドの方にその理由を尋ねてみた所、
「水分を求めているので、カバンに染み込んだ雨に寄っているのだと思います」
という見解でした。なんだ、そうだったのか。
しかし帰宅して改めて調べてみると、このチョウチョはヤマキマダラヒカゲである可能性が高く、タヌキや猿の糞に集まる習性があるのだとか。
・・・。
習性がストレート過ぎて本人には言えませんが、あの時山岳ガイドの顔がわずかにゆがんでいた理由がわかりました。
* * *
昼頃になると、登山開始から初めて晴れ間が見えました。
臭くなっているのは私も同様なので、素っ裸になって体を洗います。
これまで比較的アウトドアな人生を歩んできた自覚でしたが、そう言えば川で自分を洗濯した経験はありません。
頭をどう洗えば良いのか思案した結果、足を大きく開いて腰を曲げて頭を川に浸す方法にたどり着きました。太ももの間から見えるのは逆転した青い空と黒部立山連峰の見事な山脈、そしてアラスカ人のように縮こまった股間周り。
水温12度という冷たさなので素足で水に入っているだけでもキンキンに冷たいですが、太陽のおかげでなんとか気絶せずに露天の流れる水風呂を楽しめました。
* * *
空中毛針でも釣れることがわかったので、次はブラックバス用のトップウォーターを投げ込んでみます。
さすがに色が派手過ぎるのではという指摘を受けて、深い緑色のPOP-Xに変更してみます。
すると、イワナが先程よりもルアーの近くまで寄ってきています。食べるという距離感まではまだ遠いですが、何かの拍子で口に入れるイワナが居るかもしれません。
それから雨脚も強くなってきましたが、やはり私の周囲1メートルだけは雨が弾き飛ばされているのか、それを感じません。ポッパーを対岸に投げ続けていると、イワナが掛かりました。
今まで試してこなかっただけで、黒部で無くても釣れるのかもしれませんが、その点については検討しないことにします。
* * *
初めての経験に満ち足りた気分で宿で休んでいると、山小屋のスタッフがバタバタと慌ただしくしています。
どうやらこの山小屋を目指す登山客の1人が、木道で転んで足を骨折してそこから一歩も歩けなくなったそうです。足首が複雑に折れているようで「全く力が入らない、ブランブランの状態」だとか・・・。
彼の後に木道を通るグループがあったので山小屋に連絡が出来たものの、もし彼が最後であれば夜間帯に10度を割り込む山で一晩明かす必要があり、私のように不慣れで準備不足で怖がりな人間なら発狂した上で凍死しているかもしれません。
その後現場に救助に行った山小屋のスタッフさんの話を聞くと、動けない彼を背負って近くの広場まで運び、そこでホバリングさせていたヘリに吊り上げて病院に運んでもらったのだとか。
ヘリに怪我人が引き上げられてゆらゆらと揺られ続ける間、彼の足には大変な衝撃が来たらしく、救援者曰く
「大の大人が痛みで、全力で叫んでいました」
とのこと。
怖い・・・。痛みそのものも怖いですし、山小屋の人たちに迷惑をかけることも同様に恐ろしいことです。
店員の悪口を言うことに長けている私から見ても薬師沢小屋の方々の親切さには驚くほどで、恐らく救助する間も恐らく嫌な顔ひとつせずニコニコと対応し、こちらを励ましてくれるでしょう。そして別れ際には屈託のない笑みで
「怪我が治ったら、また来てくださいね~」
なんて手を振りながら、見送られてしまうかもしれません。そんな中、痛みで泣き叫んでいる自分を想像すると恥ずかしく、帰りの山歩きの緊張感が増してきました。
* * *
夕食後もたっぷり時間があるため、今夜は富山の三郎丸蒸留所で買ってきた十年丸を飲みながら1人で来たという登山客と酒を酌み交わします。
彼は幼い子供と妻から逃亡するために夏季休暇の5日間、まるまる山に引きこもることを英断した猛者です。なぜせっかくの休みにわざわざ山を目指すのかと聞いた所、
「孤独に浸れるのが良いんです。」
と仰っていました。恐らく名のしれた会社で管理職をしておられるのでしょう。釣りブロガーにはわからないレベルの日常の辛さを垣間見たようでした。