秋になるとシロザケが産卵のために川を登ってきます。
千歳川 サケのふるさと千歳水族館横
千歳川をのぞいてみたところシロザケが大量に遡上してきていたので、橋の上からカメラを水中に沈めてみました。
シロザケがたくさん映り込んでいます。
上流での産卵を目指して千歳川を登ってきた彼らを「インディアン水車」という装置が待ち構えています。
この水車は遡上してきたシロザケを一網打尽にし、年間20万尾を繁殖のための人工授精作業に強制従事させるという、偏った見方をすれば非常に無慈悲な仕組みを活用しています。
動物を安易に擬人化すべきでないとは思いますが、私は安易な人間なのでシロザケの男の子「マサル」の一生をプレイバックしてみます。
* * *
マサルは春先にまだ冷たい水の中で卵から孵化した後、川から海へと泳ぎだします。仲間が次々とニジマスやアメマスに丸呑みにされる中、素早いマサルはなんとか海にたどり着くことが出来ました。
それから数カ月後には北海道沿岸部から離れてオホーツク海にたどり着き、さらに翌年の夏には北方領土を越えてベーリング海まで泳ぎだします。
その間にも生命の危険は続き、仲間をどんどん減らしながらあちこちを回遊し、気がつくと日付変更線をまたいでアラスカ湾も通過していたようです。
餌を追いかけ、大きな天敵から逃れるうちに4歳を迎えたマサルの体がそれまで感じたことの無いうずきを覚えるようになりました。産卵の時がやって来たのです。
導かれるように生まれた千歳川を目指し、かつて白魚のように繊細だった少年が北海道の沿岸部に戻ってきた時には、逞しいオスの体と面構えになっています。
マサルが少年だった頃に追い回されたニジマスやアメマスやヤマメも、今では丸呑みにされてしまいそうなほど大きく力強いマサルの周囲には近付こうともしません。一方のマサルは食欲とは全く別の欲求に支配されているため、ニジマスを追いかけるような気力もありません。
さらに、つい先日まで子どもだったはずのメスのシロザケの体つきや色彩もやけに大人びて魅力的に変化していることにマサルは驚きます。
マサルは多くのメスの中でも肌艶があり健康状態が良さそうで品のある顔をしたユミにターゲットを絞りました。思い切ってユミに誘いをかけてみますが、彼女は乗り気では無い様子。マサルが落ち込んでいると、ユミの方から
「上流の産卵床で待ってるわ」
と、上流をその美しい顎で示しながら声をかけてくれました。そう、産卵という一生に一度の晴れ舞台は水が比較的澄んでいる川の中流から上流でしか許されないのです。
他のオスとのユミ取り合戦にさえ勝てば、憧れの彼女との交尾に臨めるということでしょう。
マサルは彼女との素晴らしい時間を想像して胸と精巣を膨らませつつ、狭くて浅い川で石に体をぶつけながら上流を目指します。
すると、突然体が冷たい金属板に持ち上げられ、陸に打ち上げられてしまいました。
抵抗すればするほど体は川から離れていき、あれよあれよと小さな水槽に放り込まれてしまいました。周囲にはユミも、一緒に苦楽をともにした仲間のシロザケたちも入っているようです。
狭い水槽で体をくねらせながら、マサルの頭を走馬灯がかけめぐります。ユミとの出会い、アラスカで出会った巨大なアザラシ、偶然遭遇したオキアミのごちそう、ニジマスから逃げ延びた後に仲間と語り合った雨の夕暮れ・・・。それらの記憶の奥底で、最も遠い記憶がおぼろげに蘇って来ました。
そういえば生まれて最初の記憶は冷たく美しい千歳川の中ではなく、コンクリートと冷たい表情をしたヒトに囲まれた無機質なラボから始まっていたのです。
「あぁ、俺もだったのか・・・。」
その記憶が蘇った瞬間にマサルは自らの宿命を知り、そして自らの意志とは関係なく精子を搾り取られて行くのでした。
おしまい。
* * *
インディアン水車から出てきたシロザケを奥に招き入れるおじさん達は、貴重な資源であるシロザケの再生産に貢献するために親魚を運搬しているのではありません。
彼らは単に仕事をしています。私は本件に関して無知なので、それを良いこととも悪いこととも思いません(マサルにスポットを当てて書いているのでこの事業に反対しているように見えますが)。
しかし、これをシーシェパードあたりの自然左翼的な方々が見れば泣き叫ぶのでは無いでしょうか。彼らもまた、単に仕事をしているに過ぎないのだろうと思います。