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2018年台風で大阪北部はハゲ山に
この時点から5年前の2018年の台風の影響で、大阪府北部の広いエリアでご覧のような惨状が広がっていました。
杉の木がドミノ倒しのようになぎ倒されている状態です。
感覚的に言えば車で走って10分から15分後に顔を上げても、まだこの景色が続くような状態でした。「この山をゴジラの群れがゴロゴロ寝転がって行ったんだよ」と言えば10人のうち9人は納得し、1人はそう確信するでしょう。
ここに大雨が降れば砂山にバケツで水をかけるように、土砂崩れが起きる可能性は極めて高くなっている状態でした。
さて、ここからは素人による樹木講座です。樹木には
- 針葉樹
- 広葉樹
の2種類があります。もうこの時点でいやになりますね。理解しにくいので、「シュッとした木」「ぐにゃっとした木」と命名します。
針葉樹は金になった
シュッとした針葉樹は主にスギやヒノキのことです。「ヒノキ風呂」「杉の家」などという言葉には馴染みがあると思いますが、樹木が真っ直ぐなので道具として使い勝手が良く、人間が植樹するのはほぼ全てがこのお金になる針葉樹です。針葉樹は「針」のように真っ直ぐだと覚えましょう。
ところで皆様は学校の体育の授業で点呼に応じて整列するという苦行の遂行を通して体育教師の自己満足に寄与したことは無いですか?あるいは数学で「サイン・コサイン・ブイサイン」を覚えさせられたクチでは無いでしょうか。
あれは学校教育を通して、皆様を画一化して社会(明治から昭和の時代では工場労働者であり戦闘員だな)で使いやすい装置にするためにシュッとした針葉樹にしていたと言い換える事ができると思います。
で、そんな学校教育から落ちこぼれた私はぐにゃっとした広葉樹であり、お勉強を通したブイサインを目指した方は針葉樹と言えます。
シュッとした針葉樹はお金にはなるのですが、災害に弱いという欠点があります。学歴エリートに胆力が無いというイメージで大丈夫です。
余談ですが、私が通った大学のどういう授業だったのか忘れましたが、台所で野菜を切っていた母親が突然、自分に嬉しそうに話しかけてきた男の子の脳天めがけて、ニコニコしながら突然包丁を振り下ろし、子供の頭から血が噴水のように吹き出すというおぞましいアニメを見せられた(どういう目的の講義だったのか不明)のですが、色んな学部生が交じる中で、それを見て意識を失ってぶっ倒れた男の子は医学部医学科のエリートでした。きっと彼は勉強にリソースを裂きすぎていろんな耐性が無かったのでしょうね。無事に針葉樹のままでお医者様になれたのでしょうか。
さて、木の話でした。
ひとやま木を切れば子供を大学にやれた
シュッとした針葉樹は昭和50年代には「ひとやま木を切れば子供を大学に出せる」と言われたほどのドル箱産業で、商売として植樹がどんどん進んだ時代でした。日本の国土の7割が森林でそのうちの4割が植樹だと言われていますが、全国各地のおばちゃんを小遣い稼ぎで大量に動員して樹を植えていったのだとか。
人間の鼻先にお金をぶら下げると日本の国土の3割を埋め尽くすのです。
しかしそこから時代は流れ、樹木の価格は下がり、逆に人件費や物価は上がったため、当時おばちゃんたちが植えていった樹木を切り出して売ってもお金にならず、むしろ赤字になってしまうため人工林の多くは手入れがされなくなりました。手入れをしないと針葉樹でも真っ直ぐ育たなかったり、材木としての価値が下がってしまうのです。
例えるなら良い大学を出て良い会社に就職はしたけれど
「私の人生こんなもんじゃない」
と思って27歳のときにうっかりオーストラリアにワーホリに出てしまい、その後社会で通用する技術を身につけられるような仕事に就かずにフラフラと35歳になった時に「海外に慣れてて英語がしゃべれます」「昆虫とか食えます」くらいしかアピールポイントが無くなった人間のようなものです。良い大学、良い会社、英語が話せる以外のところは俺のことだな。
針葉樹は手入れしないと価格が下る上に、余計に根が深く張らず災害に弱くなるという悪循環が起き、その結果、全国的に荒れた人工林が広がっており、大阪北部のようにスギ林ゴジラゴロゴロ現象が起きることは専門家で無くても予想が出来た未来でした。
杉が抜かれたハゲ山をどうする?
では根こそぎ抜かれた森を前に、これから大阪は、または日本はどうするのでしょうか?
- このまま放置する
- シュッとした針葉樹を植える
- ぐにゃぐにゃ広葉樹を植える
災害への強さを考えれば③ですが、ぐにゃぐにゃ広葉樹を植えても針葉樹以上にお金にならないので、山の所有者がやりたがらないでしょう(日本の6割が私有林、4割が国や自治体のものだそうです)。
とすると、土砂崩れ覚悟で懲りずに②のシュッとした針葉樹を植えることになるのでは・・・と予想して大阪北部の山に行くと、倒された樹木は取り除かれ、植樹が行われていました。
何も知らずにこの光景を見ると、宗教団体の信者さんたちを見ている気分になりますね。鹿に食われないように、白い筒で覆われています。
おや、スギやヒノキでは無いようです。
詳しい方に聞いてみると、ヤマモミジとコナラでは無いだろうかとのことでした。つまり森林行政は過去のやり方をアップデートし「③ぐにゃぐにゃ広葉樹を植える」という選択をしたということです。
我が国の行政機関(帝国陸海軍でもOK)は当初の失敗原因を分析することなく、屍を踏みつけながらインパールをひたすら目指して歩き続けるしか脳が無いと思っていましたが、ちゃんと改善しているでは無いですか。とある市区町村の予算作りをしている方が「予算を増やすことより、減らすことより、去年と同じ金額にすることが最も優先される」と言っていましたが、このパターンを打ち破ったということでしょう。
山には多額の税金が植えられている
一方現実問題として、樹木の価格が下がった現在ではわざわざお金と人手をかけて山の持ち主が植樹するインセンティブが無いため、税金を投じてぐにゃぐにゃ広葉樹を植えてもらっているというのが実態のようです。
ここで、2024年から投入される森林環境税の出番です。国民全員が年間1,000円を負担する仕組みになっています。だって土砂崩れが起きたらみんなが被害を被る可能性があるでしょ?だからみんなで負担してね。でも大丈夫、ちょうど東日本大震災の復興税が終了するのと同時に切り替わるから、みんなの負担が増えるわけじゃないからね。
・・・。
皆様、違和感は無いでしょうか。
もちろん山の環境を整備して災害を防ぐことは重要ですし、多くの国民に影響があり、さらにそのためにお金が必要という論理は完璧に納得出来ます。渓流釣りをする我々や渓魚にとってはより影響が大きいので、よくぞやってくれたと喝采を贈りたい気分です。
しかし「復興税が終わるから森林税に切り替え」というのは必要に応じた徴税というより
「反発に合いにくいから、この枠を使うおう」
「せっかく確保した税金を逃すまい」
という論理に読み取れます。
そもそも、地主たちがお金欲しさに引っこ抜いた広葉樹をまた植えるために国民から税金を取れるなら、例えば牧場主が商売のために放牧している牛が出したゲップによるメタンガスを取り返すため、あるいはカントリーリスクを見誤った金満ホタテ業者を救うために国民からあまねく税金を巻き上げてしまえるということでしょうか。
さらに付け加えるなら、国の支出の中でもっともっと削れる部分があることくらい役人の皆様ならよくご存知では・・・
無いですよね。
善良かつ聡明な官僚の方々が、国民が収めた税金を無駄遣いなどするわけが無いのです。だって彼らは、この国を豊かにするために、清く正しく整えられた針葉樹ですもの。役所の試験に合格したあの日の心のままで、まっすぐに、国民のために奉仕してくれるはずです。
広葉樹が増えれば渓魚はバンザイ
24時間戦えるタイプのエリート針葉樹は冬でもギンギンに緑色を保っていますが、大阪で植えられていたコナラやモミジなどの広葉樹は秋冬になると紅葉して葉を落とします。これが養分として川に流れ込むので虫が増え、結果としてヤマメやイワナなどの渓流魚も育ちやすくなると考えられます。
さらに広葉樹は根が深く張るので保水力があり、水が枯れて渓魚が住めなくなるリスクも小さくなるので、渓流釣りファンとしては好ましい環境になると言えますが、しかしその裏では名もなき生き物が死に絶えて行っているのかもしれませんね。