本州在住でイトウの釣り経験が浅い私は「イトウが多いらしい風蓮川に行けば何とかなる」と信じていましたが、全くイトウの気配を感じることが出来ませんでした。
今回の釣りでは昨年イトウと出会った場所とは異なるポイントでイトウを狙う予定でしたが3日目で心折れ、昨年秋にイトウを釣り上げたポイントに入ります。
他の河川はどこも激しく濁っていましたが、この河川は幸運にもそこまで濁っていないようです。
これまで不運を全身にすりこんで来たような人生でしたが、今日こそは私の日かもしれません。
ただ、昨年秋にイトウを釣り上げたという眩い記憶で河川の様子が補正されていましたが、現地に到着して正しい情報を思い出しました。
この川はイトウが居ることを除けば、釣り環境としてはこれ以上無いほど最悪の釣り場です。
まず、湿原河川なので歩きやすい「河原」というものがありません。浅瀬があると思えば間違いなく泥が溜まっており、一歩ずつ足を取られるのでむしろ深場の方が底が固くて歩きやすいほどです。
しかし深いところは底が見えないので歩くのが怖く、歩けば川は絵の具を流したように見事に濁るので川の中を歩くのは避けねばなりません。
では陸地を歩けば良いのですが、陸地は草が鬱蒼と生い茂っており、目線よりやや低いくらいの草が濃密に、どこまでもどこまでも広がっており、手で避けずにはほとんど歩くこともできないほどです。
下はこの川での藪こぎ風景です。
さらにこれらの草が目の前から無くなったと思えば、そこは必ず湿地帯になっています。やわらかな泥が溜まっているので足を入れると深く入り込んでしまい、両手まで泥まみれにして脱出することになります。
このような激しい行軍の後でようやく魚がついていそうな深みの横にたどり着き、ようやくルアーを投げようとしても川岸のギリギリまで草が生えているので、それらの草を踏んだり避けたりして、神経を使いながらキャストする必要があります。
何度か投げ直して、ようやくポイントにルアーが入りました。しかし苦難はまだ続きます。
蚊の襲来です。
蚊が寄り付きにくいと言われるハッカ油をびしょ濡れになるほどふりかけてみますが、ハッカの匂いなどは「釣り人に対する釣り禁止の看板」のようなもので、使っている人間の自己満足と掛け離れた効果しか発揮してくれません。
そしてこのような環境のため釣り人たちをあまり寄せ付けないようで、釣り人の踏み跡らしきものも見かけません。
これは魚たちからすると良い環境でしょう。
私としては、ここまで無理を押して釣りに来ているのだからとびきりの魚が釣れることを期待していましたが、釣れてきたのは小さなイワナとヤマメでした。
とりあえず魚を釣れて良かった・・・と言いたいところですが、今日は釣りをするために支払った労力が普段とは違いすぎます。
どこでも釣れる魚を釣って満足して帰るわけには行きません。草・沼・蚊の3点攻めに遭いながらなんとかかんとか釣り進んで行くと、30センチくらいのアメマスと思われる魚が釣れました。
黄金色の輝きに見惚れます。
その後も遠くなって行く車とまとわりつくような湿気を気にしながら釣り進みますが、イトウらしき魚は姿を見せてくれません。
進むか、もう戻るか。宿に早めに入って、
「ひとり缶ビールで疲れた体を慰めるのも悪く無いかもしれない」
などと迷っている間にもハエにたかられるうんこのように、蚊の大群が襲来しています。
私がこうやって蚊を必死に潰している間も、みんなはバリバリ働いて社会で影響力を発揮しています。ある知人は今年は自分が経営する会社をシンガポール市場で上場させたいと意気込んでいましたし、また別の知人はNHKの番組に出演して大河ドラマの解説を担当していました。
みんなが何者かになろうとしてるその間にも、自分は顔をパチパチ叩いていて良いのでしょうか。
それを正解と言い切るためには、やはりイトウを釣るしかありません。釣果と社会的ポジションの関係は一切わかりませんが、収入の多寡や社会的地位と俺の幸せには何の関係もありません。
だから、釣るのだ。
どんどん奥に移動すると、倒木の下に深みがあるポイントにたどり着きました。スプーンを投げると、私にしては珍しく寸分たがわぬポイントにルアーが落ちました。蚊を手で払いながらスプーンを動かすと、何やら魚が食ってきました。
どうやら小魚では無いようで、先程の30センチほどのアメマスとはパワーも重さも異次元の何かがルアーを引っ張っています。
ニジマスでは無さそうなのでアメマスか、サクラマスか、あるいは・・・。
いでよ、私の人生の集大成!
ウグイでした。
動画を撮影していることを自覚しているにも関わらず、マントルから漏れ出たような深い溜め息を漏らしてしまっています。
本州のウグイとは違うパワーに少し感動して釣りを終えそうになりましたが、ウグイを釣りに来たわけではありません。
さらにかつての大戦の南方戦線を思わせる密林をかきわけて下流に進みます。
草をかきわけて道なき道を進んでいると、完全に陸地だと思ったところが水深1メートルほどある川底で、宙に浮く感覚を久々に感じたり、足を踏み外して見事に見事に後転しそうになったりしながら奥へ入っていきます。
1メートルオーバーのイトウを釣り上げたことがある「みつばちの宿」のマスターも「大きなイトウを狙うなら深いところ」と言っていたはずなので、底が見えない深さのところを見つけてはルアーを入れますが、イトウらしき魚の姿は見えず、結局その後何匹かのバラしても惜しくも無い小さな魚をバラして釣りを終了しました。
「終了しました」と書いてしまえばたった一言で終わりですが、釣り終わった場所から車までの行軍が大変です。
川が大きく蛇行していて獣道も残っていないので、川の方向をなんとなく感じなから草をかき分けて車の方へ向かおうとしますが、視界は周囲1メートルほどしか見えず、川の音も車の音もヒントが無く、さらに曇り空で太陽も見えないので車の方向のヒントになる情報がほとんどなく、オフラインでも現在地を表示してくれるグーグルマップを見ながら少しずつ車の方に青い点(現在地)が近づくように遮二無二歩き続けます。
しかし踏み跡と間違えてわずかな支流を上ってしまい遠回りしたり、川沿いを歩いているつもりがぐるぐる同じところを回っていたり、何とか車に戻った時には汗だくで、座り込んで放心状態になっていました。
* * *
その夜は昨年、イトウを釣り上げた後に入った寿司屋を再訪しました。そのお寿司屋さんが出すものはどれも美味しく、
「人生で最高のお店に出会った」
とその時は思いました。あの衝撃の出会いから10ヶ月の間、この店での二度目の寿司を何度も思い描いての訪問でしたが、勝手に期待値を熟成させ過ぎたようで、この日は前回感じたような衝撃的な味は感じられませんでした。
恐らく食べ物それ自体は美味しかったのですが、前回はイトウを釣りあげた美しい思い出が寿司ネタの上に乗っかってしまっていたのだと思います。
それでも普段食べているスーパーのお寿司と比較すると格段に美味しかったため、店員さんから「結構食べましたね」とお褒めの言葉を預かるほどたらふく頂きました。
翌日はイトウの雪辱を晴らすべく、現地在住の知人と大型ニジマスを狙って斗満川に入りました。