昨日の楽しい釣りを終えて、静岡の山奥の集落で話を聞くことが出来ました。具体的な地域が特定されるとマズいかもしれないので、固有名詞などは避けながら書いてみます。
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静岡の山奥で生活史を聞き取り
夕暮れ前、宿の近くの町並みを散策していると、70代の男性が通りがかったので声をかけてみます。立派な造りの倉が並んでいる理由を尋ねてみると、この地域は大きな神社へのお参りをする街道添いにあるため江戸時代から発展し、1960年代のモータリゼーションが来るまでは
「大変に栄えていた」
のだそう。お伊勢参りを始め、お参りに行くと言いながら神さんもびっくりの博打から快楽までを我が国の先輩方が全国でヤリまくっていたことは知られていますが、この町にも賭博場有り、遊郭有りの賑わいで、休みの日には昼から酒を飲む人たちで溢れかえり、三味線の音色が聞こえてきたのだそうです。
彼が子供の頃の1950年代、父親のお使いで入った遊郭の螺旋階段とその上から見下ろす綺麗に着飾った女性たちのめくるめく光景はこの年になっても「衝撃的な光景」として心に残っているのだとか。
この方、70代のおじいちゃんと思えぬほど声も頭も若々しくまた勉強熱心な方で、質問対象として最高の人材だったようです。
ところで私が地域の生活史について尋ねる時、最も聞きたいことは1点に限られます。それは性生活です。歴史の本でも民俗学でも、市井の人間の性事情への言及を避ける傾向があり、夜這いと言われて我々が想像出来るのはせいぜい平安時代の中納言様の懸命な夜這いくらいでは無いでしょうか。
しかし性や夜這いについての話の向け方を間違えると
「そんな汚らしい習慣がうちにあるか!」
と怒られるかもしれないと考え、恐る恐る「電気が普及する前までは日本だけでなく東南アジアでも夜這いの習慣があったと何かで読んだことがあるのですが・・・」
と聞いてみると、おじいさんは遠くを見つめながら
「あぁ、あったよ」
と、少し深い息とともに答えてくれました。どうやら彼の世代はそのイベントに参画出来なかったようですが、彼らの10歳上くらい、つまり1950年代までは確実に残っていたのだそうです。
私の理解では夜這いを行うカップルには大きく2パターンが有り
- 恋人同士
- イベントで突発的に出会った男女
とその中間もあるようですが、彼が知っていた夜這いは②のイベントパターンでした。さらに一昔前は①も行われていたのが廃れて1950年代には②だけになったのかもしれません。
祭りの日の「無礼講」
この地域では年に一度、冬のとある日にお祭りが行われていたそうです。お祭りは夜通し行われ、盆踊りを踊りながら若い男女が出会う場として機能していたのだとか。闇の中、焚き火でぼうっと照らされた男女は非常に美しく見えたようで、彼の先輩の夜這い談では
「美人のあの娘だと思って祭りで出会って夜這いを掛けたけど、相手の家の中でよ~く見たら(美人)じゃない方のお姉ちゃんだった。」
という話もあったのだとか。さらに盆踊りの最中に歌われていた民謡についても教えてくれ
爺「どんなだったかな・・・。お月は ちょいと出て やまはを照らす・・・。とかそんな感じだったかな」
とのことで、見事に夜這いを予感させる歌詞になっています。この日は未婚の娘だけでなく後家さんや既婚者なども出会い上等のいわゆる「無礼講」だった可能性がありますが、そこまでは聞き出せませんでした。
また聞きに行こう。