前日に三重の無漁協河川で小さなアマゴを釣り上げた私は、この日の午前中は渓流釣りを一休みして僻地散策を行いましたのでその模様をご紹介します。
周囲から隔絶されていた漁村「古泊」
以前、「熊野の民俗と歴史」という書籍で読んで興味を持っていた、三重県の漁村である「古泊」というエリアに入ります。
古泊は今の三重県磯崎町にある小さな漁村です。漁業で栄えたこの集落には300世帯が住んでいたそうですが、現在は大半が空き家になっており、今も生活している70人のほとんどは高齢者だとか。
集落にあった小学校はとうの昔に閉鎖されており、お店と言えば1件の旅館とご近所さんの溜まり場になっている小さな商店と誰も来ない郵便局があるだけです。
「熊野の民俗と歴史」によると、古泊の男は漁をする以外には何もせず、女性がよく働くことが知られていたので他の地域の男性は「古泊に養子に行きたい」と言っていたとか。かつては陸路が制限されていたこの地域の移動はもっぱら船で、電化されるのも遅かったため今でも電車のことを「汽車」と言う人がいるそうです。
平地が無く、斜面に無理やり家を増やしたため荷物を運ぶのは専ら人力で、この地域の女性はものを頭に乗せて運ぶ習慣が今でも残っていると現地の方が仰っていました。
わずか70人の集落ですが、今でもはるか遠く東北から嫁いできた女性が4人ほど残っているそうです。
古泊の漁船がカツオ漁などで気仙沼など岩手や宮城の港に入り、そこで魚だけでなく花嫁まで捕獲してくるケースが珍しくなかったそうです。気仙沼と言う、古泊と比べれば「大都会」からやってきた花嫁たちは大変です。娯楽は何もなく集落の人は全て顔見知り、急斜面に建てられた小さな家に3世帯10人と暮らす生活に耐えられず、彼女らは気仙沼に来てから毎夜涙を流していたとか。
集落は多くの人を養うため、わずかな平地を耕して畑を作っていた跡が見られました。
山頂付近はサツマイモ畑になっており、そこからトロッコを使って平地までサツマイモを下ろしていたそうです。
赤土と砂で作られたサツマイモは地域の外から来た人も「これを食べたら他の地域のサツマイモは・・・」と言うほど絶品だとか。
空き家が増えすぎているので「タダでも住んで欲しい」集落側は移住者を募っており、若い方の移住希望がたまにあるそうです。しかしコンビニも無い不便さに加えて急斜面の登り降り、さらに下水道が無いので汚物の処理はバキュームカーで吸い込む方式(斜面の上の家には「パイプを継いで」吸い取るので暑い日には臭気が集落全体を包む)であることなどもネックになり、移住してくる人はほぼ居ないのだそうです。
今後も移住者が人口減を上回る可能性はほぼありません。
私が滞在していた2時間、お婆ちゃん3人の井戸端会議はずっと続いていました。
こんな光景はいつまで続くのでしょうか。
* * *
古泊散策に満足し、昼過ぎから三重県南部の無漁協河川で渓流釣りを試みます。
今日は一匹釣れたら早めに切り上げて、一人で三重の日本酒を頂くというのも一興でしょう。
水中にカメラを入れてアマゴの姿を楽しんだり、毛針で釣り損なったりしながら川を歩きます。
※漁協の無い河川の釣り場なのでポイントは有料記事に記載しています
空を見上げると、大きなカゲロウが上下運動を繰り返すさまが観察できました。良い感じです。
そんなときコンクリートの塊に沿って出来た深みに毛針を流すと、想像していたよりはるかに大きな魚が毛針に向かって飛び出してきて、口には入れずに水中に戻ってしまいました。魚の長さは30センチも無かったと思いますが、自分の手首より太そうな巨体は圧倒的で、呆然と立ち尽くしてしまいました。心臓をバクバク言わせながら、もう一度毛針を流します。反応が無いのでもう一度・・・。
さらにはルアーを投入したものの構ってもらえなかったので、最後には「姿だけでも見せてもらおう」と、水中カメラまで導入しますが最後まで姿を見せてくれることはありませんでした。
昨日、「大きな魚を追い求めるなんて浅ましい」と言っておきながら、この始末です。一匹の大物(しかもカワムツの可能性もある)に心奪われて結局暗闇が迫るまで目を血走らせて釣りをしてしまいました。
そしてさらに最終日も懲りずにこの河川で大アマゴを狙いました。