姉川でアマゴ渓流釣りと醒ヶ井の地蔵川でハリヨ観察

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以前、ご自宅に渾身のワインを持ち込んだところそれが知人の愛用のワインだったという失態を犯しましたが、その時私を自宅に招いた上で上品な方法で恥をかかせた戦犯とも言える今田さん(仮)と滋賀県長浜の山に向かいます。

彼は私と同い年でありながら立派な会社を経営している身で、心身ともに休める時間が少なく、何の気も使わずに遊べて存在が格下の私との釣りを楽しみにしていたようです。才能、運動神経、血筋、資産、外見・・・全ての面で負けている私ですが、渓流釣り2回目の彼に本業で負けるわけにはいきません。

人の世は一筋縄ではいかないことを教えて差し上げましょう。

 

姉川上流

 

車中でうっかり彼の仕事の話を聞いてみたところ、公共工事の発注側のフィクサーとの駆け引きや他社の買収など、私には一言半句たりとも理解出来ない高度な内容が襲いかかってきたので、逃げ出すように川に降り立ちます。水温は22度で一般的に言われているアマゴやイワナの適温を大きく越えており、鱒はここには居ないかもしれません。

ルアーを投げる同行者が「あそこに毛針を流したら釣れそうですよ」と、のべ竿に毛鉤を結んだチョウチン毛鉤釣りの私にポイントを教えてくれました。

滅多に無い彼の渓流釣りの機会を暇な私が奪うわけにもいかないので遠慮するかと思いきや、自分でも驚くほど当然のように毛針を投げ込んでしまいました。

・・・。

しかし魚の反応はありません。

なんだよ、釣れないじゃないか。

次のポイントに移動しようと竿を上げると、魚が掛かっていました。

 

 

毛針から目線を外して次に投げるところを探している時に魚が掛かったのでちょっとしたパニックです。

毛針釣りをしていると、水面まで出てきて毛針に掛からなかった魚を水中にお見送りすることが多く、恐らく80~90%くらいはこの形式で空振りしています。

原因は魚が直前で食うのを止めたのか、あるいはうまく毛針を口に入れられなかったからだと決めつけていましたが、単にアワせるタイミングが悪かっただけなのでしょうか。

 

チョウチン毛針釣りに挑戦してから5年は経過していると思いますが、このまぐれヒットで初めて問題に気がついたのでした。

 

* * *

 

二人とも魚を掛けることが出来ぬまま、大きな堰堤の下に到着しました。ひとまずこの河川での釣りはこれが最後のポイントになりそうです。

のべ竿ではどうしようも無い広さと深さが有るポイントなので、ここはプロガイドとしての奥技「うしろでお茶飲んで見守るの術」を使います。

深さが有るポイントは期待感が高まる一方、ルアー釣りは意外と難易度が高く、渓流釣りの経験が浅いと難しいんだよな・・・。

やはり彼が何度ルアーを投げてもアブラハヤ一つ掛かってきていません。

かと言って私がルアーを投げたところでうまく行くイメージも湧かないし・・・。と思っていると、彼の竿が大きく曲がっています。

 

姉川アマゴ渓流釣り

 

長さは20センチ程度ですが、体の厚み、背中周りの筋肉、ヒレの形や色まで完璧な大アマゴです。

私の10センチほどの細い魚と比べると、同じアマゴだとも思えません。

「今回は私が優良ポイントを彼に譲ったから、彼が釣ったのだ」と自分を納得させましたが、では自分1人で釣りをしていた時にこれほどの魚と一度も出会えていないのはなぜか、と思い至ったところで思考は行き詰まります。それにしても今日はやけに暑いな・・・。

 

* * *

 

宿に到着してもまだ少し明るかったので、近くの小川を観察して楽しみます。

カメラを川底に設置し、周辺の魚を二人で追い込んで魚がカメラに映るように誘導します。彼と私は同い年の40手前、死ぬこと、人生で成し遂げたいこと、自分の損得でなく誰かに与えることまでうっかり考えそうになる年齢です。そんな我々が腹ばいになってカメラを設置し、賢明に腕を伸ばして魚をカメラの方に追い込みます。

魚も映り込んだと思われるので、カメラを回収しようとしますが・・・。見当たりません。ショッピングモールで姿を消した自分の車のように、そもそも置いた位置を記憶しようという意図も無かったのでカメラの位置のヒントもなく、ただ単調な顔をした用水路がせせら笑いでこちらを見ています。

その後、彼がたまたま撮影していた写真を頼りに何とか発見できましたが、その間

「4万円のgoproを失ったかもしれない」

というショックで引きつっていた自分の表情を同行者に見られなかったかどうか、今も心配です。

 

* * *

 

夜は先ほど撮影した水中映像のカワムツとタナゴを観ながらBBQを楽しみます。彼の奥様が「いわゆる健康食マニア」で、科学物資や農薬を忌避しているのだとか。

お金持ちはBBQでどんな牛肉を焼くのかと観察していたところ、今宵彼はウインナー警察の目が無いことをこれ幸いとシャウエッセンを大量に焼いており、親近感を感じてしまいました。

不健康な加工肉とワインを片手に、この国の「平和教育」の謎にわめき散らしながら夜は更けていきました。

 

* * *

 

翌日は醒ヶ井の地蔵川で魚を探します。

ここは滋賀と岐阜の限られたエリアだけで生息している「ハリヨ」という魚を保護している河川なので、人生で初めて自然環境下でハリヨを見られるかも知れません。

 

醒ヶ井地蔵川の梅花藻
梅花藻の奥にスイカ

 

というか、保護しているのだから嫌と言うほど見られるだろう・・・と思っていたのですが実際に姿を見せるのはカワムツやオイカワばかりで、ハリヨがどこに居るのか全くわかりません。そもそも、ハリヨとは川のどのあたりに生息しているのでしょうか。

川沿いの施設管理をしているお上品なおばあちゃんに聞いてみると「もう川にハリヨは居ないんですよ」と衝撃の一言を浴びせられ、その代わりにと教えてもらった神社の水槽に居るはずのハリヨも姿がありません。周囲の方に聞いたところ「盗まれた可能性が高い」のだとか。

食材にならない魚を冷や汗をかきながら盗むなんて、高尚なのか低俗なのかわからない泥棒も居たものです。

しかしこちらはハリヨを見るために駐車場代300円(だったか?)を払ったのに、冗談じゃないぞ。

魚が見たいというよりも「300円の元を取らないと帰れない」という想いにとらわれ、同行者の冷ややかな目線を感じながらも目の前にある店舗に入り込んでハリヨの所在を教えてもらいます。

店主は買い物をする気がないことが明らかな私の顔を怪訝な表情で見つめながら

「河川のハリヨはもうほとんど居ないのですが・・・岩場の、流れがゆるいところで稀に見つかるかもしれません」

とのことです。

アマゴ釣りでは完敗してしまいましたが、水産学科で学んだものとしてハリヨの第一発見者だけは譲れないぞと、街を見下ろすゴジラのような顔圧で河川を覗き込みます。

彼「ニートさん、この魚・・・」

彼が示す方向を見ると、小さくてホバリングするような泳ぎ方・・・。ハリヨに間違いありません。結局ハリヨ発見の手柄も彼に奪われ、ついに私は何の功績も無い人生で終了することが確定してしまいました。

我々は童話などを通じて「人の一生におけるトータルでの損得はバランスしていく」あるいは「そうであるべき」という錯覚を刻まれていますが「持っている人間」と「そうでない人間」との差は生まれてから死ぬまで一方的に開き続けていくようです。

感覚的に納得しやすい情報はあくまで願望である場合が多く、現実とは違うのです。

これからは「お金持ちはよりお金持ちになりやすい」「数理・言語・芸術・運動能力の全てが低い人間が得られる幸福はたかが知れている」という現実を絵本や子供向けのお歌でも伝えないといけないのかもしれません。

私は展示されている神社でハリヨを盗んだ男(間違い無く男)にシンパシーを感じてしまいました。

 

前日の用水路と地蔵川の水中映像はこちらです。

 

30分ほどの間にハリヨを4匹発見出来ました。

ハリヨ発見のヒントをくれた恩人であると自覚しながら「数が少ないのでハリヨは滅多に見つけられない」と豪語していた店主になんだかんだ文句を言いつつ、2日間の旅が終了しました。

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読む価値は無いが