ビワマス産卵観察・被差別部落映画鑑賞【24年11月湖北①】

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陸からのビワマス釣りが12月1日から解禁になりますが、その前にビワマスの姿が見たくなり湖北の河川に向かいました。

毎年遡上してくるポイントを覗いてみますが、見つかるのはビワマスの死骸ばかりです。11月に入って雨がほとんど降っていないので、増水を利用して遡上していく習性があるビマワスが川を遡るタイミングを逃しているのかもしれません。

 

川沿いを歩いていると、ビワマスが音を立てながら上流に向かっている姿が見えます。しかしよく見るとビワマスはすでに弱りきっているようで、それほど強い流れでは無いのに初めて水に落とされた人間の子どものように押し流されています。

 

 

このビワマスは全く傷ついておらず、まだ一度も産卵をしていない体に見えますが、この状態では産卵など望むべくもないでしょう。

このビワマスのように産卵に参加出来なかったであろう個体が美しいピンク色のままで川原に横たわっている姿を見かけることはそれほど珍しくありませんが、なぜこれほど弱っているのでしょうか。

 

そんな無惨なビワマスの姿を見ていると、なぜか

「お前がここまで遡上してきたことは無駄じゃないぞ」

と声をかけたくなります。陸に打ち上げられたビワマスの死骸は鳥に食べられ、その糞がミミズやバクテリアに分解されて無機物になり、土を通して植物に栄養を与えることで、次に遡上してきたビワマスの姿を鳥から隠してくれるでしょう。

だから、このビワマスは無駄死にではないのだ。

・・・と思いたくなってしまいます。しかしよく考えてみれば実際には大した影響はなく、むしろ樹木が鳥の隠れ家を提供することで次に遡上してきたビワマスに試練を与えるだけなのかもしれません。

それでも犬死にのようなビワマスにエールを送ってしまったり、価値を見出したくなるのは、志半ばどころかどんな志があったかも忘れて人生をヘラヘラ顔で折り返そうとしている自分の人生に意味を見出そうとしているからなのでしょうか。

この日は結局ビワマスの死骸ばかり10体ほど見ただけで産卵観察を終了し、その後木之本で開催された映画を鑑賞しました。

 

被差別部落を描いた映画鑑賞

この日鑑賞した映画は「かば」という作品で、1985年の西成にあった実在の中学校教師と生徒を描いた映画です。被差別部落や在日朝鮮人という私が興味を持っている対象についてバリバリに描かれている映画でした。

かつてから「被差別部落に興味がある」と公言して回っていたところ、「部落関連の映画の上映会がありますよ」と彦根の心ある紳士が誘ってくださいました。

映画はコメディ風で作られているものの、中学校のトイレで風俗同様の「金銭交換を伴うサービス」が行われていたり、中学校の校区が部落・在日・沖縄で100%を占めている実情が描かれていたり、その生々しい内容に途中で1人スタンディングオベーションを巻き起こしそうになってしまいました。

 

部落出身のアイドル

私は西日本の出身なので子どもの頃に部落差別に関する授業が有りました。しかし家の周囲や校区内に部落地域というものが存在しないのでその実感が全く持てず、ただぼんやりと授業をやり過ごしてました。

ある日の同和教育の授業の後、授業の感想をみんなでザラ版紙に書かされている時、隣の席に座っていた普段は活発でスクールカースト最上位の女の子が先生に蚊の羽音のような小声で

「私のお父さん、部落の出身やねん・・・」

と言ったのを聴いてしまいました(当時から聞き耳を立てがちな陰湿な中二だった)。さらに「お父さんは酔っ払うと私に手を上げることもある」という話を聞いてしまった時、心の底から

「羨ましい!」

と感じました。

平民同士の子どもとして生まれ、全世界の平均値のような暮らしをしている自分とは違う「語るに値するバックグラウンド」「悩むに資するファミリーヒストリー」を持った佐藤さん(仮名)がその日から私のヒロインになり、同時に被差別部落の人たちの暮らしや文化に強い興味を持つようになってしまいました。

もちろん差別を肯定しているのではなく、部落地域の集団だけが持つ独特の文化への興味は社会がタブー視すればするほど高まってしまっております。

 

素晴らしい映画の後、部落地域の近くに住む「部落出身では無い」2人からそれぞれ話を聞きましたが意見は一致しており、

「差別は良くないことやけど、理想と現実は違うわ。自分の身内が部落の人と結婚する言うたら絶対反対や」と偽らざるところを教えてくれました。

これは彼らが人間として粗悪だと言うことではなく、「部落だろうと関係無い」という綺麗事を言えてしまう我々がその経験を持っていないだけだと思います。もし自分が部落に関わるエリアに住んでいたなら、黒人サッカー選手に対する差別発言に小言を言ったその口で、子どもに対して本音と建前について教育していることでしょう。

 

* * *

法楽寺町の暴落不動産を見学

翌日は過去にもブログに登場してくださった友永さんと合流します。

彼には無茶な斜面を降りさせて怪我をさせたり、ガイドを気取って釣り方についてうるさく指示してみたりと迷惑をかけ続けながらも優しく付き合ってくれる数少ない友人です。

この日も自分が産卵観察に誘ったくせに、彼に川を案内してもらう流れになりました。しかしタイミングが悪かったのかビワマスの姿が一向に見つからず、途方にくれて顔を上げてみると、なぜか田園風景の先の斜面に住宅街が広がるという不思議な光景が目に入りました。

Googleストリートビューより引用

 

一般的に土地の使い方としては田園より住宅が優先されるため、

「平地が全て住宅で埋め尽くされて、これ以上家を建てられる田畑が残っていない」

という場合に、やむなく斜面の林を切り開いて住宅地を作ることが多いでしょう。もちろん山の近くなので土砂崩れのリスクや野生動物の被害も想定されますし、駅からも遠いので生活は不便でしかありません。

しかし資本主義下では逆境を追い風に変えることが出来るビジネスマンが真価を発揮してしまいます。バブル当時、デベロッパーに勤務するキレ者サラリーマンが、逆転の発想で無価値な土地に幻想を上乗せして売ることができることに気づいてしまったのです。

・・・。

続きは「法楽寺町の負動産見学と秘境・谷口の集落散策」へと続きます。

 

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